おしろめぐりねこ「さくら」が全国のおしろを訪ねつつ、お墓参りをしたり野球を観たりお馬を見たりたばこを吸ったりチョロQを買ったり…。
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お使いついでに喜多方市内のお城を訪問。
訪問日時が前後しちゃうんですが、
まとめたところからアップしようとすると埒があかない…(>_<)
ということで8日に訪問した喜多方市南部の城館をアップです。

そうは言ってもこの日行こうとしていたのは1箇所のみ、
もう1箇所はふらふらしている時に引き寄せられただけ(^-^;
しかも目的のお城は…よくワカランかった…。

***

【鏡ヶ城】
20100308_kagami_ga_jou01.jpg20100308_kagami_ga_jou02.jpg
福島県喜多方市(旧耶麻郡塩川町)
今回探していたのは↓の太田館なんですが、
圃場整備で状況が変わっている様でどこがどこやら…。
で、車で田圃道をくるくる走っていたところ、
遠目にも判る見事な土塁に引き寄せられ訪問。
元中元年(至徳元・1384)平田大隅守光範が築城したと伝わるお城です。

【太田館】
20100308_ohta_date.jpg
福島県喜多方市
明治時代の地籍図にある字館之内が館跡であるが、
現在は圃場整備後の水田面となり遺構は存在しない。
また築城年代や築城者、館主は不明である。
「新編風土記」に天正年間(1573-92)蓮沼備中某が居住とあるが、
その記述は北東約200mに位置する太田集落内を指しており、
字館之内の地割から推定されるこの館とは別と推定されている。
「喜多方市史」に記述されている、
『南辺に三日月形の水田が確認でき…』に心躍らせて訪問。
しかし…平成七年以降にまた圃場整備したんですか?
みんな綺麗に形の整った田んぼしか見当たらない…(T^T)
唯一の手掛かりは南に接する水田面との比高差くらいかな?

***

以上、簡単ですがご報告でした~。
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出張に出る前に~。
明日(あ、日付が変わっちゃった)から宮城県へ出張です。
出張に出れば更新ネタも溜まるので、
その前に最近訪問した駅を更新しなきゃです。

上の2箇所は仕事の打ち合わせで近くまで行ったので訪問、
下の5箇所は豊川駅の近くに行く用事が出来たので訪問。

これでも現喜多方市内の駅制覇ならず。
広いぜ喜多方市!

***

【東長原駅】
20090311_higashinagahara.jpg
福島県会津若松市(旧河沼郡河東町)

【会津若松駅】
20090311_aizuwakamatsu.jpg
福島県会津若松市

***

【会津村松駅】
20090314_aizumuramatsu.jpg
福島県喜多方市

【喜多方駅】
20090314_kitakata.jpg
福島県喜多方市

【会津豊川駅】
20090314_aizutoyokawa.jpg
福島県喜多方市

【姥堂駅】
20090314_ubadou.jpg
福島県喜多方市(旧耶麻郡塩川町)

【塩川駅】
20090314_shiokawa.jpg
福島県喜多方市(旧耶麻郡塩川町)

***

因みに明日は名取市から入って仙台市郊外を廻り、
夜のウチに一気に岩手県一関市へ移動して宿泊。
翌日は気仙沼市から登米市に掛けて業者へ訪問し古川宿泊。
最終日の3日目は石巻市か塩竈市か…。

周辺に興味深いお城は多いですが、
まず仕事を最優先せねば…(^-^;

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ほてほてと塩川の史跡を歩く(その一)。
昨日から父母が孫に会いに会津へ来ていたため、
親孝行なわたしは早朝9時頃には起床しました。

お昼頃父母が帰った後、
せっかくの休みということで家族でドライブへ。

もちろん行く先はお城なんですけどね(笑)

【浜崎城】
「阿賀らん処」展望台より望む浜崎城跡

今日の最大の目的地は塩川の三橋館。
まず、以前浜崎城に訪問した時、
近くの「阿賀らん処」という物産館?に売っていた本に、
三橋館及び三橋氏についての記述があったので、
それを確認に向かいました。

阿賀らん処で結局その「塩川史研究 第2号」を購入し、
ついでに3階の展望台から対岸の浜崎城を撮影。
続いて目的地である三橋館へ。

【三橋館】
館跡南西堤防上より館跡西辺を画す堀跡
館跡南東堤防上より左が本丸(字館の内)、右が二の丸
本丸、二の丸間の堀、東側より本丸、二の丸間の堀、西側より
館跡東側に所在する曹源寺ねこ

詳細は後日サイトにアップしたいと思いますが、
三橋太郎義通が文和三年(1354)に築いたとされています。

義通は蘆名氏祖佐原十郎義連より、
 佐原義連-盛連-加納盛時-常世頼盛-時明-三橋義通
という流れを汲み(盛時の孫ともいわれますが)、
この三橋館のほか、貝沼館、菅井館などを領したといいます。

天正十七年(1589)摺上原合戦で蘆名勢が敗走すると、
伊達政宗はこの館の東に位置する駒形山に陣を布き、
北方(現在の喜多方)方面へ兵を進めました。

その際三橋氏14代越中守盛茂は、
前日までこの館にあって伊達氏の来襲に備えていましたが、
蘆名義広が常陸国へ落ち延びるとそれに同行しました。

政宗は三橋館に5日ほど滞在し、
その後黒川城へと入城したとされます。

なお写真8枚目の方が、
現在お住いの子孫の方です(うそ)。

【貝沼館】
館跡北西より北辺の土塁館跡北西より西辺の土塁
館跡南西より西辺の土塁集落中央、お寺と民家の間に遺る土塁
集落中央にあるお寺(名前わすれた…)

上にもちょこっと出てきましたが、
三橋氏の支館の一つです。

康安二年(1361)三橋太郎義通が築いたとされますが、
前述の通り天正年間(1573-92)末期に常陸国へ落ちた三橋氏が、
会津へ戻ってきた後に住したのもこの館だそうです。

なので貝沼、菅井集落には三橋さんがお住いなのですが、
三橋にはいらっしゃらないそうです。

写真はそのご子孫でしょう、
三橋さん宅とその周囲の土塁です。

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