おしろめぐりねこ「さくら」が全国のおしろを訪ねつつ、お墓参りをしたり野球を観たりお馬を見たりたばこを吸ったりチョロQを買ったり…。
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行かれました(^-^)ノ
昨日は前記事に書いた通り、
栃木県宇都宮市で行われました、
平出城跡発掘調査現地説明会
に参加して参りました~(^-^)ノ

奥さんからお許しが出るかな~なんて思っていましたが、
話したところ割とスンナリとOK。
しかし「流石に博物館学芸員資格を持ってる人だなぁ」と思う勿れ。
野球観戦と違って料金は掛かりませんからね(^-^;
今は単なる和菓子作りのパートさんです。

朝6時半に自宅を出発した我々家族、
思いの外南会津町付近の道路状況が悪くちょっと焦りましたが、
開始時間直後の10時半に会場到着。
急いで資料を受取り説明を聞きます~。

***

【平出城】現地説明会
栃木県宇都宮市
平出城は承元三年(1209)宇都宮氏家臣鈴木八郎重定の築城とされ、
その後川馬、平出、平石氏らが居城したとされます。
周囲には御城、中城、バンバ(馬場)、東門などの屋号が残りますが、
歴史や規模などはほとんど不明な城館だった様です。

20100213_hiraide_setsu_01.jpg20100213_hiraide_setsu_02.jpg
まず発掘調査事務所内で平出城の沿革、今回の調査の概要説明を聞きます。
現説慣れしてきたりんは出土したカワラケを見て「これって使い捨てなんだよね~」と。
ちゃんと覚えているモノなんですね~。

20100213_hiraide_setsu_03.jpg20100213_hiraide_setsu_04.jpg
用水路は平出城の外郭堀と考えられていた様ですが、
今回の調査で付け替えられていることが判ったそうです。
右側画像の奥、現在は左(東)側に曲がっていますが、
往時は真っ直ぐに延びており左側画像の大溝に繋がっていた様です。

20100213_hiraide_setsu_05.jpg20100213_hiraide_setsu_06.jpg
調査区中央には東西方向に走る堀が認められ、
その堀の北に1棟、南に2棟横並びで南北に長い掘立柱建物跡が認められています。
南側の建造物は厩と推定されている様で、西に隣接する「バンバ」の屋号との関連が伺えます。
また北側の建造物には庇があった様で、それぞれ性格の異なる建造物だった様です。

20100213_hiraide_setsu_07.jpg
これが上記の調査区を東西に分ける堀跡で、画像右が北となります。
なお堀の北側に沿って土塁があったことが確認されており、
調査区東側に隣接する屋号「東門」から通じる通路があったモノでしょうか?

20100213_hiraide_setsu_08.jpg20100213_hiraide_setsu_09.jpg
調査区南側には貯蔵庫とも埋葬関連施設とも推定されている地下式坑がありました。
左画像の様な屋根部分(地表)の落ちていないものは珍しいそうです。
なお右画像は崩れたところに石を入れて整地した箇所です。
年代は不明だそうで、城館関連のものであれば武器、弾薬庫や食料庫なんでしょうね。

20100213_hiraide_setsu_10.jpg20100213_hiraide_setsu_11.jpg
遺物が出ている状況をそのまま残してありました。
左画像はカワラケ、右画像は古銭です(判るかな…?)。


説明は概ね上記の様な内容、後は周囲をほてほてと見て歩きました。

20100213_hiraide_jou_01.jpg20100213_hiraide_jou_02.jpg
「御城」の屋号を持つお屋敷、お隣は「中城」の屋号だそうです。
敷地内に土塁が残っております。

20100213_hiraide_jou_03.jpg
城域内に所在する光淋寺は、築城者と伝わる鈴木氏と関連があるそうです。
20100213_hiraide_jou_04.jpg20100213_hiraide_jou_05.jpg
左は「北(城)」の屋号、右は「東門」の屋号を持つお宅です。
屋号や小字名で大体の規模が判るってのは面白いですよね~。

20100213_hiraide_jou_06.jpg
調査区からずーっと南側に進んだところに鎮座する稲荷社。
大溝は此処まで延びて西側へカーブする、と考えたけれど違うかも…、
と調査員の方がおっしゃっていました。
まだまだ平出城の規模は不明でございます。


ところで、今回の資料には築城者は鈴木八郎重定となっています。
しかし数少ない資料を見てみると重行さんとなっているモノがほとんど…。
一体どちらなんでしょうね…?

***

【桑島城】
20100213_kuwajima_jou.jpg
栃木県宇都宮市
築城年代には諸説ある様ですが、
「宇都宮の古道」には鎌倉時代の築城、
「城郭大系」には文明年間(1469-87)桑島辰業の築城とあります。
周囲には城郭関連地名や屋号が残っており、
また土塁の一部が残っている様ですが、
現在は民家敷地となっており未確認です…orz

【石井城】
20100213_ishii_jou.jpg
栃木県宇都宮市
弘安年間(1278-88)宇都宮氏家臣横田五郎業澄の築城とされ、
以降子孫の石井主計が慶長二年(1597)主家改易まで居城したという。
「宇都宮の旧跡」に土塁の写真が掲載されているんですが、
こちらも民家敷地となっているので確認出来ず(>_<)

【岡本城】
20100213_okamoto_jou01.jpg20100213_okamoto_jou02.jpg
20100213_okamoto_jou03.jpg20100213_okamoto_jou04.jpg
栃木県宇都宮市(旧河内郡河内町)
南北朝時代、宇都宮氏重臣芳賀氏一族の岡本信濃守富高が築城、
岡本氏断絶後は玉生氏が城主となったとされるが、
慶長二年(1597)宇都宮氏の改易と共に廃城となった。
現存する遺構は本丸周囲に残る土塁、堀の一部のみですが、
なかなか見事なモノでございました(^-^)ノ

【勝山城】
20100213_katsuyama_jou01.jpg20100213_katsuyama_jou02.jpg
20100213_katsuyama_jou03.jpg20100213_katsuyama_jou04.jpg
栃木県さくら市(旧塩谷郡氏家町)
宇都宮氏の女を娶り姻戚となった氏家五郎兵衛尉公頼により、
建久年間(1190-99)に築城されたという。
氏家氏が南北朝時代に断絶した後は芳賀高清が城主となり、
飛山城と連携して宇都宮氏北方の守りを担った。
国道4号線からも近く訪問し易い場所ながらかなり久々の訪問です。
現在は本丸周囲が公園として整備されており、
見事な土塁、空堀を見ることが出来ます。

【阿久津城】
20100213_akutsu_jou01.jpg20100213_akutsu_jou02.jpg
栃木県塩谷郡高根沢町
貞和四年(正平三・1348)宇都宮氏家臣野沢若狭守の築城、
慶長二年(1597)宇都宮氏改易に伴い廃城になったという。
宝積寺駅北方、線路東側の八幡神社参道付近に城跡碑があり、
そこから侵入してみましたがゴミだらけ…(-_-)
車まで捨てられていましたよ。
積雪装備では無かったので引き返しましたが、
なかなか良好に遺構が遺っている様子ですので、
また機会があれば再訪してみたいです。

【御前城】
20100213_gozen_jou01.jpg20100213_gozen_jou02.jpg
栃木県さくら市(旧塩谷郡氏家町)
築城年代、築城者ともに明らかで無いが、
鎌倉時代に氏家氏によって築城されたと考えられている様です。
「大系」には馬場城として記載されており、
城主として舟生右茂四郎の名が挙げられています。
また勝山城の記載には、
氏家氏が同城を築城する以前の居城かと考察されています。
現在は氏家小学校敷地となっており、
僅かに土塁の一部が鉤型に遺っています。
土塁、案内板ともに完全に小学校敷地内ですので、
今のご時世平日昼間の訪問はなかなか難しいのかも?
土曜日夕方も怪しさ大爆発ではありますが(^-^;

***

最後の御前城を訪問したのが17時くらい、
後は折角栃木県に来たんだから餃子を食べて帰ろうと思いましたが、
氏家付近でも餃子専門店があるのか判らず断念。
結局りんのリクエストで「かっぱ寿司」となってしまいました。

食後眠くなるのは世の常、
帰りは奥さんに運転を替わって貰い後部座席で爆眠、
目を覚ましたのは既に磐梯町に入ってからでした(^-^;
那須~白河付近がエライ状況だった…と語る奥さん、
大変お疲れ様でございました<(__)>

因みに平出城は引き続き調査が行われる様で、
今後は現在の調査区の東側を予定している様です。
遺物が少なく年代の特定が難しい様ですが、
調査が進んで徐々に往時の様子が明らかになるのが楽しみですね(^-^)
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テーマ:史跡 - ジャンル:学問・文化・芸術

いろいろ残念だった宇都宮遠征。
またちょっと時間が経ってしまいましたが、
先日22日、栃木県の宇都宮清原球場で、
讀賣-横浜」戦を観戦して参りました。

今回は場所がそこそこ近く、またナイトゲームということで、
当日朝、りんのお見送りをしてからすぐ出発!…の予定でした。
が、そこはやっぱりわたしの立てた計画、
色々雑多な用事を済ませて家を出たのは正午過ぎでした(^-^;
久し振りに昼間に栃木県内を走るので、
行く前には途中で寄れそうなお城を調べていたんですが、
栃木県に入る手前で既に開場時間には間に合わない時間。
無念ではありますが野球場へ直行です。

16時頃に野球場付近へ到着すると、
さすがに讀賣戦だけあって結構な混雑具合でした。
そこでさて困ったのは駐車場の場所…。
道路左右の芝生部分にたくさんの車が停まっており、
警備員の方もそこで誘導しています。
でも表示も無いため正規の駐車場なのかが全く判らない???
結果的には2度たらい回された上でちょっと離れた臨時駐車場へ。
…そこまでの案内板くらいは設置すべきかと思います(-_-#
そしてなんとか17時頃には球場入りしました~。

20080422_kiyohara_01.jpg


20080422_kiyohara_02.jpg

特徴がある…といわれる球場の外観を見る余裕は無く、
すぐに外野芝生席に入りましたが、
その傾斜がエラい急であることにびっくり!
ちょっと踏ん張っていないと普通に座っていられない(^-^;
ベイ攻撃中は当然立ち上がって応援しているんですが、
立っている時も結構踏ん張りが必要です。
どれだけ運動不足か!と言われるかも知れませんが、
翌日わたしは筋肉痛になりました(-_-;

試合は内海、土肥投手の両先発で始まりましたが、
二人とも立ち上がりが悪い…。
そしてやっぱり先に崩れたのが土肥でした。
3回に5安打をまとめられて3失点、
その後1点を返したものの直後に失点と調子上がらず、
5回4失点での降板となりました。
対する内海は尻上りに調子を上げ、
ベイ打線は付け入る隙もありません。
今回の試合で観客の最大の関心事だったであろう、
地元栃木県出身のルーキー佐藤祥万の登板も無く、
最後は失策もあってベイ側からすればぐだぐだで終了しました。

素人だし普段は戦略や戦術をとやかく言いませんがねー…、
せめてショーマは出して欲しかった…orz
代打で小関選手を出すタイミングが無かったのは判りますが、
8回裏1死ランナー無し、この場面で何故山北投手?
ショーマ先発!にもやや期待していましたが、
ここでそういう大胆なことが出来ないのも低迷の一因かと。
前述の場面で投入し、無失点であれば3点差。
地元宇都宮でショーマにプロ初勝利を!
と打撃陣の奮起もあったかも…なんて考えてしまいます。
結果論ですけどね。
勝負に徹しての采配だったんでしょうが、
その結果として今の状況があり、
なおかつファンを喜ばせることも出来ない。
弱い上にこれでは不人気球団筆頭にもなるでしょうねえ。

***

20080422_bigbie.jpg

レフトの守備位置には、
新外国人選手のラリー・ビグビー
丁度携帯電話をいじっていたので、
とりあえず撮影してみました。
なおビグビー選手の後ろには多村ユニを着た少年が座っており、
さらにその後ろには中根ユニを着たわたしがいました。
さらにわたしの後ろに高橋雅ユニを着た方がいたかは不明ですが、
歴代の背番号6が並んでおりました(^-^)

さながらその様子は
ガイアマッシュオルテガの様だった…、
(もしくはガラミティダーニェット
と後世の歴史家が言うかもしれない?

テーマ:横浜ベイスターズ - ジャンル:スポーツ

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