おしろめぐりねこ「さくら」が全国のおしろを訪ねつつ、お墓参りをしたり野球を観たりお馬を見たりたばこを吸ったりチョロQを買ったり…。
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県都福島市へ行く。
昨日は仕事が休みでしたので、
何度も行こうとして断念していた免許証の更新をすべく、
福島市の運転免許センターへと行って参りました。

朝早く行って午前中のウチに用事を済ませ、
午後は周辺を見て回ろう…などと考えておりましたが、
当初の予定より出発が30分遅れたため午前の受付に間に合わず。
午後の受付は13時開始だったので、
取り敢えず暇つぶしに福島県庁方面へ…。

***

【福島城】
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福島県福島市
皆様当然ご存知のことでしょうが、
現在の福島県庁は藩政時代に福島城が置かれた場所です。
以前訪問した時は福島城についてほとんど触れられていませんでしたが、
今は各所に石碑や解説板が建てられております。

因みに上段画像が板倉神社とその脇に立つ解説板、
中段画像が本丸跡石碑と小学校校庭に残存する土塁、
下段画像が大手門跡石碑とそこから望む県庁庁舎です。

***

福島県庁は阿武隈川沿いに立地しており、
福島城が置かれていたころはかなり氾濫に悩まされていた様です。
おかげで城跡の南側は破壊されています。

しかしながらその阿武隈川も現在は市民の憩いの場となり、
川辺では多くの水鳥が羽根を休めておりました。

そこで!我々家族はお弁当のサンドイッチを取り出し、
水鳥に餌付けを試みます~(^-^)ノ
しかしかなりの緩斜面にかかわらず、
水面近くまで来るのにかなりおっかなびっくりのりん…。

2脚歩行が苦手な人はこの先きっと苦労するよ…orz
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テーマ:史跡 - ジャンル:学問・文化・芸術

旧米沢街道で子どもたちを追いかける!
昨日は地元北塩原村が主催の、
NHK大河ドラマ「天地人」記念ウォーク
に家族で参加して来ました。

旧大塩小学校から桧原湖畔までの旧米沢街道、
行程約10km、高低差約500mのコースを3時間ほどで歩くイベントです。
小学校で1、2を争うグズっ娘のりんに体力をつけさせるため、
そしてわたしと奥さんは旧街道を歩いてみたい!と思っての参加でした。

8時過ぎに自宅から車で5分ほどの旧大塩小学校に向かうと、
駐車場となっている校庭は満車になっていました。
大して参加者もいないだろうと思っていた我々はちょっとびっくり、
会場からほど近い奥さんの同級生のお宅に車を置かせて貰い受付へ。

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イベントスタッフは村の職員総出という感じで、
りんの幼稚園の先生や教育委員会の方も忙しく動いており、
一様に「りんちゃん大丈夫かな~?」な表情(^-^;
一方りんは、同じくイベントに参加する同級生三姉妹を見つけ大喜び、
これから10km歩くのに大丈夫か!?なテンションの上がり具合。
村の高橋村長や米沢市長の挨拶などオープニングセレモニーも終わり、
テープカットと同時にウォーキングの開始です。

20080518_02.jpg
安部三十郎米沢市長も駆け付けました。

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参加者は約1,500名、村の人口の半分が集まった!

ウチの家族と三姉妹及びそのお母さんは、
子どもたちのペースを考えて中段やや後方の位置取り、
ゆったりとマクリの体勢でスタートします。
しかし…子どもたちはそんなのお構いなし!
かかり気味に前へ前へと進んで行きます(-_-;
わたしは路傍の史跡を見る余裕も無く、
りん(小2)と次女(小3)、それに続く長女(小4)を追いかける展開。

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20080518_05.jpg
ナニヤラ虎口っぽいクランク状の箇所もスルーです

わたし的今回の目玉、鹿垣柵も駆け足(T^T)
また以前の草ぼーぼーになる前に再訪せねばなりません。
案内板も立派になったし大丈夫かな…?

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立派になった案内板

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鹿垣を米沢方面より

半分よりやや進んだ中ノ七里一里塚付近で、
後ろから必死に進んできた奥さんが追い付きました。
三女(小2)が一人ぼっちでつまらなかろう!と子どもたちを諭します。
そして15~20分ほど待った後に追い付いた三女は大喜び♪
今度はりんと三女が先頭を走って行きます。
わたしはさらに追いかけます(^-^;

しかし最高所となる蘭(あららぎ)峠を越えると檜原集落まで下り坂、
りんと三女は下り坂でも駆け足を止めません。
わたしは…諦めた。

そしてスタートから3時間ほどでしょうか、
ついに桧原湖畔に到着してゴール♪
子どもたちも10kmを歩き切りました(^-^)ノ
ぐずっ娘のりんが10km歩き続けられるとは思いませんでしたねぇ…。
その半分は走ってましたし。
りんの成長に驚きながらみんなで振舞われた豚汁を食しました。

20080518_10.jpg
ナベ、デカイ!

ちなみにゴールとなった場所の名前はよくワカランのですが、
すぐ近くに穴澤一族の墓と伝わる五輪塔が残ってます。

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食事が終わった後、小娘4人は温泉に入って大喜び♪
わたしはシーソーの上でちょい昼寝。
そして最終のシャトルバスに乗って大塩小学校まで帰って来ました。

遠くは山口県萩市からの参加もあったというこのイベント、
1,500名近い参加者がありながら特に大きなトラブルも無く、
大成功に終わったものと思います。
我々ももちろん疲れはしましたが気持ちの良い汗をかき、
子どもたちもきっと貴重な体験だったと思います。
是非また実施される際には参加したいな~と思いますが…、

左手の人差し指を虫にくわれてカユイカユイ…!
第一関節の太さが1.5倍(当社比)になってるよ~(T^T)

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ほてほてと塩川の史跡を歩く(その一)。
昨日から父母が孫に会いに会津へ来ていたため、
親孝行なわたしは早朝9時頃には起床しました。

お昼頃父母が帰った後、
せっかくの休みということで家族でドライブへ。

もちろん行く先はお城なんですけどね(笑)

【浜崎城】
「阿賀らん処」展望台より望む浜崎城跡

今日の最大の目的地は塩川の三橋館。
まず、以前浜崎城に訪問した時、
近くの「阿賀らん処」という物産館?に売っていた本に、
三橋館及び三橋氏についての記述があったので、
それを確認に向かいました。

阿賀らん処で結局その「塩川史研究 第2号」を購入し、
ついでに3階の展望台から対岸の浜崎城を撮影。
続いて目的地である三橋館へ。

【三橋館】
館跡南西堤防上より館跡西辺を画す堀跡
館跡南東堤防上より左が本丸(字館の内)、右が二の丸
本丸、二の丸間の堀、東側より本丸、二の丸間の堀、西側より
館跡東側に所在する曹源寺ねこ

詳細は後日サイトにアップしたいと思いますが、
三橋太郎義通が文和三年(1354)に築いたとされています。

義通は蘆名氏祖佐原十郎義連より、
 佐原義連-盛連-加納盛時-常世頼盛-時明-三橋義通
という流れを汲み(盛時の孫ともいわれますが)、
この三橋館のほか、貝沼館、菅井館などを領したといいます。

天正十七年(1589)摺上原合戦で蘆名勢が敗走すると、
伊達政宗はこの館の東に位置する駒形山に陣を布き、
北方(現在の喜多方)方面へ兵を進めました。

その際三橋氏14代越中守盛茂は、
前日までこの館にあって伊達氏の来襲に備えていましたが、
蘆名義広が常陸国へ落ち延びるとそれに同行しました。

政宗は三橋館に5日ほど滞在し、
その後黒川城へと入城したとされます。

なお写真8枚目の方が、
現在お住いの子孫の方です(うそ)。

【貝沼館】
館跡北西より北辺の土塁館跡北西より西辺の土塁
館跡南西より西辺の土塁集落中央、お寺と民家の間に遺る土塁
集落中央にあるお寺(名前わすれた…)

上にもちょこっと出てきましたが、
三橋氏の支館の一つです。

康安二年(1361)三橋太郎義通が築いたとされますが、
前述の通り天正年間(1573-92)末期に常陸国へ落ちた三橋氏が、
会津へ戻ってきた後に住したのもこの館だそうです。

なので貝沼、菅井集落には三橋さんがお住いなのですが、
三橋にはいらっしゃらないそうです。

写真はそのご子孫でしょう、
三橋さん宅とその周囲の土塁です。

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