BlogPet 今日のテーマ
「あなたの好きなおかずはなんですか?」
肉も魚も野菜も好きなので、
好きなおかずは何、というより、
おかずが好き!って感じですねえ。
魚以外の海産物はダメなのが多いけど…。
基本的に、
唐辛子か塩胡椒かワサビかニンニクを入れれば、
好きなおかずになっちゃいます。
好きなおかずは何、というより、
おかずが好き!って感じですねえ。
魚以外の海産物はダメなのが多いけど…。
基本的に、
唐辛子か塩胡椒かワサビかニンニクを入れれば、
好きなおかずになっちゃいます。
きょうは撮影したかったの♪
*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「こさくら」が書きました。
職場近くをなわばりにしているねこが増えて現在も数匹います。
その中でも人懐こいのが「とらこをいじめるので困りものです。
※なお文中のねこの名前は正式なものではございません。
すべてこさくらが勝手につけた名前です。
初め性別が判らなかったのですが、
おかあさんを先頭にねこ4ひきがにゃーついて来たものでした(笑)
上の写真を撮ったのは11月で、
とらこは今もほぼ毎日ごはんをねだりに来ますが、
後日確認をしたところ「おかあさん」は「おとうさん」でした。
(その姿はさながらビッグバイパーとオプションの様…)
まあその後またねこが現在数匹いるんですが、
おかあさんもう来ることはありません…。
先月半ば頃、物陰で静かに息をひきとっていたそうです。
*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「こさくら」が書きました。
昨日は更新の途中で眠くなり、
また桃色の頭脳が痛み出したので大人しく寝ました。
今朝は珍しく頭脳の痛みがなかったのですが、
仕事が終わって帰宅する頃にまた痛くなって来た…。
不摂生は良くないですねえ。
昨日の続きはあと2箇所なので、
サクサクと更新してしまいましょう。
ちなみに塩川じゃなく喜多方なんですけどね(笑)
***
貝沼館を後にしたわたしは、
今回のもう一つの目的地だった山都の小布瀬城を諦め、
慶徳町の駿河館を目指しました。
りんが「ブランコで遊びたい!」と言うので、
駿河館のすぐ隣にある熊野神社にあったのを思い出したからです。
新宮熊野神社、
と言うより長床と言った方が通りが良いのですが、
喜多方市内では割とメジャーな観光スポットです。
熊野神社入口の駐車場に車を停め、
りんと奥さんを置いてわたしは長床へと向かいます。
新宮熊野神社は、
天喜三年(1055)源頼義が陸奥国の安倍氏を討伐に赴いた際、
紀伊国熊野より河沼郡熊野堂村へ勧請したのが始まりで、
その後応徳二年(1085)、
頼時の子八幡太郎義家がこの地へ移したものといわれています。
見どころは拝殿である長床で、
44本の柱が立ち並ぶ吹き抜けの建造物です。
しかし残念ながらわたしは神社仏閣はかなり疎く、
(決して他に精通している訳でもないのですが…)
写真を撮った後早々に目的地である駿河館へ。
耶麻郡新宮荘は、
蘆名氏の一族である(とされる)新宮氏の所領でしたが、
永享五年(1433)に蘆名氏によって滅ぼされました。
その後蘆名氏から熊野神社の守護を任ぜられたのが、
この駿河館を築いた西海枝(サイカチ)駿河守と考えられています。
東西約70m、南北約90mの方形単郭式平地館で、
館の周囲には土塁、堀が巡らされていた様です。
現在土塁は西側がほぼ完全に遺り、
L字型に北側の一部も遺っています。
西側土塁とその西側斜面の大同寺墓地の間には、
土塁に沿った形で堀跡の窪地が確認出来ます。
以前は南側にも一部土塁が遺っていた様ですが、
住宅が建てられた際に崩されてしまったのでしょう。
***
駿河館を見終わった後もまだちょっと陽は高かったのですが、
今回はこれでおしまいにしました。
早朝9時に起きたダメージは結構あった様です。
そして帰宅途中にラーメンを食べようという話になり、
くるくる軒へ向かうも閉店。
来夢で塩チャーシュー麺大盛にんにくトッピングを食し、
今日のドライブは終了となりました。

熊野神社の管理事務所前にいたいのししと記念撮影のりん。
くしゃみした直後(笑)
また桃色の頭脳が痛み出したので大人しく寝ました。
今朝は珍しく頭脳の痛みがなかったのですが、
仕事が終わって帰宅する頃にまた痛くなって来た…。
不摂生は良くないですねえ。
昨日の続きはあと2箇所なので、
サクサクと更新してしまいましょう。
ちなみに塩川じゃなく喜多方なんですけどね(笑)
***
| 【新宮熊野神社】 | |
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貝沼館を後にしたわたしは、
今回のもう一つの目的地だった山都の小布瀬城を諦め、
慶徳町の駿河館を目指しました。
りんが「ブランコで遊びたい!」と言うので、
駿河館のすぐ隣にある熊野神社にあったのを思い出したからです。
新宮熊野神社、
と言うより長床と言った方が通りが良いのですが、
喜多方市内では割とメジャーな観光スポットです。
熊野神社入口の駐車場に車を停め、
りんと奥さんを置いてわたしは長床へと向かいます。
新宮熊野神社は、
天喜三年(1055)源頼義が陸奥国の安倍氏を討伐に赴いた際、
紀伊国熊野より河沼郡熊野堂村へ勧請したのが始まりで、
その後応徳二年(1085)、
頼時の子八幡太郎義家がこの地へ移したものといわれています。
見どころは拝殿である長床で、
44本の柱が立ち並ぶ吹き抜けの建造物です。
しかし残念ながらわたしは神社仏閣はかなり疎く、
(決して他に精通している訳でもないのですが…)
写真を撮った後早々に目的地である駿河館へ。
| 【駿河館】 | |
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![]() | ![]() |
耶麻郡新宮荘は、
蘆名氏の一族である(とされる)新宮氏の所領でしたが、
永享五年(1433)に蘆名氏によって滅ぼされました。
その後蘆名氏から熊野神社の守護を任ぜられたのが、
この駿河館を築いた西海枝(サイカチ)駿河守と考えられています。
東西約70m、南北約90mの方形単郭式平地館で、
館の周囲には土塁、堀が巡らされていた様です。
現在土塁は西側がほぼ完全に遺り、
L字型に北側の一部も遺っています。
西側土塁とその西側斜面の大同寺墓地の間には、
土塁に沿った形で堀跡の窪地が確認出来ます。
以前は南側にも一部土塁が遺っていた様ですが、
住宅が建てられた際に崩されてしまったのでしょう。
***
駿河館を見終わった後もまだちょっと陽は高かったのですが、
今回はこれでおしまいにしました。
早朝9時に起きたダメージは結構あった様です。
そして帰宅途中にラーメンを食べようという話になり、
くるくる軒へ向かうも閉店。
来夢で塩チャーシュー麺大盛にんにくトッピングを食し、
今日のドライブは終了となりました。

熊野神社の管理事務所前にいたいのししと記念撮影のりん。
くしゃみした直後(笑)
昨日から父母が孫に会いに会津へ来ていたため、
親孝行なわたしは早朝9時頃には起床しました。
お昼頃父母が帰った後、
せっかくの休みということで家族でドライブへ。
もちろん行く先はお城なんですけどね(笑)
今日の最大の目的地は塩川の三橋館。
まず、以前浜崎城に訪問した時、
近くの「阿賀らん処」という物産館?に売っていた本に、
三橋館及び三橋氏についての記述があったので、
それを確認に向かいました。
阿賀らん処で結局その「塩川史研究 第2号」を購入し、
ついでに3階の展望台から対岸の浜崎城を撮影。
続いて目的地である三橋館へ。
詳細は後日サイトにアップしたいと思いますが、
三橋太郎義通が文和三年(1354)に築いたとされています。
義通は蘆名氏祖佐原十郎義連より、
佐原義連−盛連−加納盛時−常世頼盛−時明−三橋義通
という流れを汲み(盛時の孫ともいわれますが)、
この三橋館のほか、貝沼館、菅井館などを領したといいます。
天正十七年(1589)摺上原合戦で蘆名勢が敗走すると、
伊達政宗はこの館の東に位置する駒形山に陣を布き、
北方(現在の喜多方)方面へ兵を進めました。
その際三橋氏14代越中守盛茂は、
前日までこの館にあって伊達氏の来襲に備えていましたが、
蘆名義広が常陸国へ落ち延びるとそれに同行しました。
政宗は三橋館に5日ほど滞在し、
その後黒川城へと入城したとされます。
なお写真8枚目の方が、
現在お住いの子孫の方です(うそ)。
上にもちょこっと出てきましたが、
三橋氏の支館の一つです。
康安二年(1361)三橋太郎義通が築いたとされますが、
前述の通り天正年間(1573-92)末期に常陸国へ落ちた三橋氏が、
会津へ戻ってきた後に住したのもこの館だそうです。
なので貝沼、菅井集落には三橋さんがお住いなのですが、
三橋にはいらっしゃらないそうです。
写真はそのご子孫でしょう、
三橋さん宅とその周囲の土塁です。
親孝行なわたしは早朝9時頃には起床しました。
お昼頃父母が帰った後、
せっかくの休みということで家族でドライブへ。
もちろん行く先はお城なんですけどね(笑)
| 【浜崎城】 |
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今日の最大の目的地は塩川の三橋館。
まず、以前浜崎城に訪問した時、
近くの「阿賀らん処」という物産館?に売っていた本に、
三橋館及び三橋氏についての記述があったので、
それを確認に向かいました。
阿賀らん処で結局その「塩川史研究 第2号」を購入し、
ついでに3階の展望台から対岸の浜崎城を撮影。
続いて目的地である三橋館へ。
| 【三橋館】 | |
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詳細は後日サイトにアップしたいと思いますが、
三橋太郎義通が文和三年(1354)に築いたとされています。
義通は蘆名氏祖佐原十郎義連より、
佐原義連−盛連−加納盛時−常世頼盛−時明−三橋義通
という流れを汲み(盛時の孫ともいわれますが)、
この三橋館のほか、貝沼館、菅井館などを領したといいます。
天正十七年(1589)摺上原合戦で蘆名勢が敗走すると、
伊達政宗はこの館の東に位置する駒形山に陣を布き、
北方(現在の喜多方)方面へ兵を進めました。
その際三橋氏14代越中守盛茂は、
前日までこの館にあって伊達氏の来襲に備えていましたが、
蘆名義広が常陸国へ落ち延びるとそれに同行しました。
政宗は三橋館に5日ほど滞在し、
その後黒川城へと入城したとされます。
なお写真8枚目の方が、
現在お住いの子孫の方です(うそ)。
| 【貝沼館】 | |
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上にもちょこっと出てきましたが、
三橋氏の支館の一つです。
康安二年(1361)三橋太郎義通が築いたとされますが、
前述の通り天正年間(1573-92)末期に常陸国へ落ちた三橋氏が、
会津へ戻ってきた後に住したのもこの館だそうです。
なので貝沼、菅井集落には三橋さんがお住いなのですが、
三橋にはいらっしゃらないそうです。
写真はそのご子孫でしょう、
三橋さん宅とその周囲の土塁です。

最近、オフシーズンはほとんど野球の情報のないわたし。
Yahoo!のプロ野球情報くらいしかソースがございません。
もっともオープン戦、公式戦が始まっても、
勤務時間の関係でテレビ中継はほとんど視られず、
yahoo!の一球速報に頼っているんですがね。
それでも嬉しい球春の到来♪
東北地方の球春はまだまだ先ですし、
オープン戦が始まったところで新戦力を観られる訳でもないんですが、
新聞の紙面上で成績を見るだけでも楽しいものです。
ここ数年間はベイスターズ携帯サイトの、
オープン戦チケットプレゼントの当選次第で観戦に行ってましたが、
今年はプレゼントはないのかなぁ…?
きっかけがないと奥さんを説得出来ないので(笑)
***
画像が何もないとちょっと寂しいので、
さくらの所有するプチお宝をアップしてみました。
昨年限りで引退、
球団職員となられた福本誠選手のサイン入りヘルメットとボールです♪
ヘルメットは入手した2年後に山形県野球場へ持って行き、
思わぬ所で差し出されて驚く福本選手からサインを頂きました。
ボールは友人のゆきむらくんが、
折角だからヘルメットと一緒に飾って、と譲ってくれたものです。
今日は仕事も休みなので、
ブログを立ち上げた本来の目的に近付くべく、
お城を巡って来ようじゃあないか!と思ったわたし。
しかし例によってエンジンの掛かり遅いわたし。
起床はお昼、お出掛けは15時になってしまい、
結局地元から抜けられませんでした(笑)
実際のところ今日は終日フリーだった訳でもなく、
ブレーキパッドの交換のため喜多方市へ向かいます。
自宅から自動車屋さんへ向かう途中、
喜多方市の中里集落へ立ち寄り、
まず中里館跡へ行ってみました。
【中里館】

佐藤河内某なる人物が住んでいたらしいですが、
しかし年代すら良くワカラン。
村中の善導寺辺りが館の中心の様です。
この中里集落、
実は奥さんのお母さんのご実家がある集落です。
結構大きな家らしいので、
今度遺構を探させて貰いたいものです。
【勝御前の墓】

かつごぜん?すぐれごぜん?
中里集落から喜多方市街地方面へちょっと走ると、
左側にこの小さなお墓があります。
すぐ近くに勝福寺というお寺があり、
その観音堂の説明板には、
勝の前が京から松島への旅の途中この地で没し、
中将政保がその冥福を建立した…
とありますが…誰ですか勝の前さん、政保さん。
ちなみに今の観音堂は蘆名盛興によって再興されたものらしい。
父が偉大であるせいもあって陰の薄い盛興さん、やるじゃん。
***
国道121号線沿いの車屋さんへ到着し、
作業をお願いすると大体30分ほど掛かるらしい。
それは折り込み済みだったので、
車屋さんを後にしてほてほてと下勝集落へ歩く。
国道から東側へちょっと入った下勝集落、
地図を頼りに館跡を探します…ワカラン。
集落北端、築山なのか土塁跡なのか、
土盛りに押し倒されそうなブロック塀のお宅発見。
地図で見るとその辺りなんですけど…。
喜多方市史には何時の頃か大原伊賀守某が住したとあり、
耕地整理で遺構は存在しないとあります。
下勝館を後にして、
さらにほてほてと中明集落へと歩いて行きます。
まずは目印にした集落内の長福寺へ。
うーん、目立った遺構はありません。
強いて挙げれば写真2、3枚目の水路が堀跡…?
何とも判断に迷うところ。
車の作業時間もそろそろ終わるし、
さて戻る前に道路で分断された南端部分でも見てみるかと思ったら…、
写真4、5、6枚目の不自然な耕作地の境目を発見。
4枚目が南東端、6枚目が南西端、5枚目がその中間です。
道路の南側の一部だけが畑地、
その南側は全て水田なんですよ。
その区切りは西辺も同様で、
この範囲が館跡の地割なのかな〜なんて思いました。
***
その後10分ほど歩いて車屋さんまで戻り、
今日の史跡巡りは終了。
例によって消化不良ではありますが、
最後の中明館跡はちょっと気になりました。
ブログを立ち上げた本来の目的に近付くべく、
お城を巡って来ようじゃあないか!と思ったわたし。
しかし例によってエンジンの掛かり遅いわたし。
起床はお昼、お出掛けは15時になってしまい、
結局地元から抜けられませんでした(笑)
実際のところ今日は終日フリーだった訳でもなく、
ブレーキパッドの交換のため喜多方市へ向かいます。
自宅から自動車屋さんへ向かう途中、
喜多方市の中里集落へ立ち寄り、
まず中里館跡へ行ってみました。
【中里館】

佐藤河内某なる人物が住んでいたらしいですが、
しかし年代すら良くワカラン。
村中の善導寺辺りが館の中心の様です。
この中里集落、
実は奥さんのお母さんのご実家がある集落です。
結構大きな家らしいので、
今度遺構を探させて貰いたいものです。
【勝御前の墓】

かつごぜん?すぐれごぜん?
中里集落から喜多方市街地方面へちょっと走ると、
左側にこの小さなお墓があります。
すぐ近くに勝福寺というお寺があり、
その観音堂の説明板には、
勝の前が京から松島への旅の途中この地で没し、
中将政保がその冥福を建立した…
とありますが…誰ですか勝の前さん、政保さん。
ちなみに今の観音堂は蘆名盛興によって再興されたものらしい。
父が偉大であるせいもあって陰の薄い盛興さん、やるじゃん。
***
国道121号線沿いの車屋さんへ到着し、
作業をお願いすると大体30分ほど掛かるらしい。
それは折り込み済みだったので、
車屋さんを後にしてほてほてと下勝集落へ歩く。
| 【下勝館】 | |
![]() | ![]() |
国道から東側へちょっと入った下勝集落、
地図を頼りに館跡を探します…ワカラン。
集落北端、築山なのか土塁跡なのか、
土盛りに押し倒されそうなブロック塀のお宅発見。
地図で見るとその辺りなんですけど…。
喜多方市史には何時の頃か大原伊賀守某が住したとあり、
耕地整理で遺構は存在しないとあります。
| 【中明館】 | |
![]() | ![]() |
![]() | ![]() |
![]() | ![]() |
![]() | |
下勝館を後にして、
さらにほてほてと中明集落へと歩いて行きます。
まずは目印にした集落内の長福寺へ。
うーん、目立った遺構はありません。
強いて挙げれば写真2、3枚目の水路が堀跡…?
何とも判断に迷うところ。
車の作業時間もそろそろ終わるし、
さて戻る前に道路で分断された南端部分でも見てみるかと思ったら…、
写真4、5、6枚目の不自然な耕作地の境目を発見。
4枚目が南東端、6枚目が南西端、5枚目がその中間です。
道路の南側の一部だけが畑地、
その南側は全て水田なんですよ。
その区切りは西辺も同様で、
この範囲が館跡の地割なのかな〜なんて思いました。
***
その後10分ほど歩いて車屋さんまで戻り、
今日の史跡巡りは終了。
例によって消化不良ではありますが、
最後の中明館跡はちょっと気になりました。
![]() | ![]() | ![]() |
職場近くをなわばりにしているねこが現在数匹います。
その中でも人懐こいのが「とらこ」と「おかあさん」です。
初め性別が判らなかったのですが、
後日確認をしたところ「おかあさん」は「おとうさん」でした(笑)
上の写真を撮ったのは11月で、
とらこは今もほぼ毎日ごはんをねだりに来ますが、
おかあさんもう来ることはありません…。
先月半ば頃、物陰で静かに息をひきとっていたそうです。
ちょうど発見された日は私が休みの日で、
同僚が社員駐車場脇に埋めてくれていました。
まだ気温が仕事が終わり裏玄関から駐車場へ向かうと、
おかあさんを先頭にねこ4ひきがにゃーにゃーついて来たものでした。
(その姿はさながらビッグバイパーとオプションの様…)
まあその後またねこが増えて現在も数匹いるんですが、
その新顔のねこ「大はらじろ2号」がとらこをいじめるので困りものです。
※なお文中のねこの名前は正式なものではございません。
すべてわたしが勝手につけた名前です。
はじめまして。
『さくしろブログ』をはじめました、「さくら」と申します。
義妹がお店の紹介のブログを立ち上げ、
それに伴うちょっとした作業を行っているうちに、
わたし自身も作ってみようと思いました。
もう一つの理由はと言うと…、
ブログ自体について勉強不足だったので色々と調べているうちに、
「BlogPet」なるものを発見してしまったから(笑)
ウチの「こさくら」も宜しくお願いしますね♪
まあHP自体の更新も遅いわたしがどこまで出来るか判りませんが、
色々どうでも良い事をつらつらと載せたいと思ってます。
どうぞ宜しくお願い致します。
『さくしろブログ』をはじめました、「さくら」と申します。
義妹がお店の紹介のブログを立ち上げ、
それに伴うちょっとした作業を行っているうちに、
わたし自身も作ってみようと思いました。
もう一つの理由はと言うと…、
ブログ自体について勉強不足だったので色々と調べているうちに、
「BlogPet」なるものを発見してしまったから(笑)
ウチの「こさくら」も宜しくお願いしますね♪
まあHP自体の更新も遅いわたしがどこまで出来るか判りませんが、
色々どうでも良い事をつらつらと載せたいと思ってます。
どうぞ宜しくお願い致します。






































